何のために生きているのか

2019年2月27日水曜日

t f B! P L




上を見るときりがない。
上には上がいて、その更に上もある。
だから自然と、たいていの人は下を見て安心しようとする。

あぁ、こいつよりかはマシだ。
まだ俺の方が幸せだ。いい暮らしをしている。金を持っている。

そんな感情を抱き、自分の置かれた状況を誤魔化そうとする。
自分は幸せじゃないけど、不幸でもない。
だから、今のままでも一応大丈夫だ、と。


誰かを基準として生きていると、息苦しい。
ソイツの人生に自分の人生が左右される。

不幸になれ、失敗しろ。
ネガティブな願いは思考となり、どんどんと螺旋状のように、自分をも縛っていく。



自分が何をしたいのか。
何のために生きているのか。
誰かに認めて貰いたいのか?
それとも、ただただ生きているだけでいいのか?


目指している先と、現在の行動は釣り合っているのか?
ただただ、細々と生活しながらゲームをするだけなら、ナマポにできる。

それ以上を目指すのであれば、環境が無ければ労働するしかない。
だからこそ、聞きたい。いや、別に聞きたくはないんだけど。


「何の為に、生きているんですか?」


一時期、自分の流行語大賞だったこの言葉は、今でも突然現れてくれる。
昔の自分であれば、答えられなかった。
今なら、ハッキリと答えられる。


「できるだけ苦労せずに、楽しく生きていたい」


誰もが思いつくような、小学生でも幼稚園児でも思いつくようなこの言葉に辿りつくのに、31年かかった。
そして今、その環境を私は手に入れた。

そこがゴールでいいのか? と考える人もいる。
当然、そう指摘するのが当然だとは思う。

でも、ここがゴールじゃない。
今ようやく、スタートラインに私は立てた。

ここからようやく「自分の楽しいとは何か?」を見つける旅を始める事ができる。
今まで流れで生きて来た中で、楽しいとは何なのかが分からなかった。

人生とは、楽しくあるべきなのであると誰かが言っていた。
他人なんてどうでもいい。
だけども、自分を楽しくしてくれるのであれば、その人の幸せを願うべき。
その願いとは、自分を楽しくさせてくれるのだから。

だからこそ、人生における基準は、他人ではなく、自分の方がきっと良い。
確信はないけれど、きっとソレが良いに違いない。


要するに、私は怠け者なのですが、そうやって育てられてきたのだから仕方がない。
今日は朝起きて、昼寝して、youtubeを視ました。
手羽元をいっぱい食べました。
今の私は、とても楽しい生活を送っています。きっとそういう事なんでしょう(?) ~終~


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