老人の線引きと未来の介護事業について

2017年5月30日火曜日

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私は来月17歳の誕生日を迎える訳ですが、この歳になってくると歳をとるという状況が嬉しくありません。
成長と例えれば聞こえはいいですが、また死に一歩近づいたと例えるとどうでしょうか。
なんだか、あまり楽しくありませんよね。

子供の頃は、はやく大人になりたい。
大人になると、子供の頃に戻りたいと願うようになります。

願わない人生を送れている人っていうのは、物凄く幸せな事だと思います。
少なくとも、私は子供に戻りたい。
可能であれば精子からやり直したい。

ダチョウ俱楽部ばりに「どうぞどうぞ」と譲ってこの命を突き果たせたい。
そもそも、過酷な受精競争の時点で大半の運を使ったと思うと――

ここまで書いて、これが実の母親の中で行われた大戦争だと想像して気持ち悪くなったのでやめます。
何の話をしていたか忘れてしまいましたが、そう、今日は老人についてお話したかったのです。

私は中学生時代、職業体験的なもので老人ホームに行きました。
何故それを選んだのかは覚えていませんが、確かくじ引きとかだったきがします。

軽い掃除くらいしかやることが無いと思っていましたが、とんでもない。
当時中学生の私に、両手が動かない老人相手に食事の補助をさせたんですよ。
しかも誰の監修も無く、監視も無い。
噛まなくても飲み込める流動食を、スプーンで救って口に入れるんです。
その時の、銀のスプーンと歯が当たる感触を、未だに忘れる事はできません。

職業体験は、2日続きました。
その僅かな2日の間に、入居者が1人死にました。
これが現代なら、Twitterで出回って3万RTくらいいってまとめサイトに掲載されるくらいの出来事だと思います。

中学生に業務をぶん投げる、死体搬送現場を見せるという訳の分からない職場環境、これが10年以上前に起こっているという訳です。
つまり今は改善されているか? というと、絶対に改善なんてされてない。


例えば、ここにゆで卵があるとするじゃないですか。
中身は半熟にして、ちょっと味付けすれば、ラーメン屋では100円で売れるんですよ。
原価10円のものが、ちょっと手間を加えて大量生産すれば10倍で売れるんです。

ただ、ネックなのがラーメン屋でしか売れないって事なんですよね。
ラーメンと一緒に売らないと100円では売れない。
山の山頂付近で飲み物が高く売れるように、ラーメン屋でどうしても煮卵がほしい、という人に売るからこそ100円で売れるんです。

つまり、その辺の道端で売っても売れないんです。
弁当屋さんがたまーにゆで卵を売ってますけど、私は売れた所を見た事がありません。

つまり何が言いたいかというと、小さい頃から卵をたくさん食べれば、年老いてもパワフルな身体で、健康的でいられるのでは? とここまで書いた所でめんどくさくなったので、とりあえずB型の未熟糞野郎は地獄の釜で茹で上がってそのまま切り刻まれてなんかアレされとけよな ~おしまい~

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