5円玉を道端に置くと、通行人との対戦に100%勝利できるので、コスパが良い

2020年2月10日月曜日

t f B! P L
最近、私は散歩の途中で道端に5円玉を置く事にハマっています。
絶妙な角度の場所に、5円玉を置く事に快感を覚えています。

次の日に同じルートを歩き「あ、盗られてねぇな」とか感じる事ができるんですよ。
なかなかないですよ。道端に勝手に現金を置いて「よし! 盗られてねぇな!」なんて思う事は。



別に盗られててもいいんですよ。5円玉ですから。
こちらの損害は5円だけです。
むしろ道端に落ちている貨幣なんて、科学的に考えれば雑菌だらけです。
人だけでなく、犬も通りますし、鳥も飛びます。
更に言えば、最近はコロナウィルスも流行っています。
そして、空気は乾燥しています。

なので、仮に5円玉を拾った盗人は5円以上の健康的ダメージを受ける訳ですよ。
「5円拾った! ラッキー!」なんて思っているかもしれませんが、それは勘違いです。
たった5円。たかが5円を拾っただけで、病気になる確率が高くなるわけです。
これは中央アフリカの名医、インテラントステラクチャー博士も言っていましたので間違いないです。



要するに、5円玉って凄いんですよ。
10円玉だったら、拾われる確率が高くなります。
何故ならば、100円の消費税分を賄える事ができるからです。
自動販売機でも使えますし、駄菓子屋でお菓子を買えるかもしれません。

そう考えると、5円玉って無力なんですね。
5円玉が2枚あれば10円になりますが、それは所詮5円玉が2枚あるって事実に過ぎません。
ドラゴボの悟空の戦闘力が10であるならば、ベジータとピッコロは5です。
ベジータとピッコロが二人がかりで悟空に挑んでも、負けます。

つまり、数字とは必ずしも足し算の合計で決まるとは限らない訳です。
1+1は2ではない。
1+1は1が2つあるだけで、2ではない訳です。

話を戻すと、北マケドニアのラネーン調査指揮官の論文が目新しいですが、人は行動する対価、ついりメリットを無意識の内に脳で計算しています。
「この5円玉を拾われる所を誰かに見られないだろうか?」
「たかが5円を拾う貧しい人間だと思われないだろうか?」
「そもそも汚い5円玉をわざわざ拾って、財布に入れたくない」
「なんか5円って、幽霊とご縁がありそうじゃん。なんか怖い。とづまりすとこ……」

要するに、少なくとも日本で、日本人が、5円分しか価値のない5円玉を、しかも道端に落ちている小汚い5円玉を、常識を持ち合わせてる人間は拾わない。

つまり、落ちている5円玉を拾う奴は、人として終わっている。つまり私の勝ち。
逆に拾わなければ「よっし! 今日も盗られてねぇな!」と勝利できる訳です。

はるか昔から人類は無限エネルギー、つまり永久機関を作る事を目指していました。
ですが、失敗が山のように重なり、18世紀の終わりには純粋力学的な方法では実現不可能だということが明らかになりました。

しかし、どうでしょう?
この5円玉、道端に置いただけで、永久的な勝利が約束されていませんか?


勝利は、エネルギーになります。
次も勝ってやろう! 負けてたまるか! という精神的パワーに繋がります。
人類は5円玉を5円という価値でしか見る事はできませんでした、
だが、僕は違う!!!!!!!!!!! 僕だけは特別だった!!!!!!!!

物事は視点を変えれば、偽りすら正しいと勘違いします。
だけども、それは仕方のない事なのです。
光が差せば、闇が生まれる。
光が無ければ、全ては闇に包まれる。

星は自らが発光している訳ではない。
遥か彼方からのエネルギーを反射して、発光しているように見せかけているのだ。

みんなが悩んでいる事なんで、この大宇宙の広さに比べれば、ほんのわずかな事象にすぎない。
だけども、きっと、その悩みは誰かの心を照らしていると思うよ。 は??? ~終~

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