津田さんに片道通勤2時間の仕事についてド正論を返されたあきひとさん— あきちゃん亭倉庫 (@akichantei) 2019年2月24日
そんな思いまでして働こうとしてるのに、津田さんやパネるさん、その他もろもろの無職・生活保護で楽している人達を見るとバカらしくなってくるあきひとさん pic.twitter.com/mBTK6CEa4y
上を見るときりがない。
上には上がいて、その更に上もある。
だから自然と、たいていの人は下を見て安心しようとする。
あぁ、こいつよりかはマシだ。
まだ俺の方が幸せだ。いい暮らしをしている。金を持っている。
そんな感情を抱き、自分の置かれた状況を誤魔化そうとする。
自分は幸せじゃないけど、不幸でもない。
だから、今のままでも一応大丈夫だ、と。
誰かを基準として生きていると、息苦しい。
ソイツの人生に自分の人生が左右される。
不幸になれ、失敗しろ。
ネガティブな願いは思考となり、どんどんと螺旋状のように、自分をも縛っていく。
自分が何をしたいのか。
何のために生きているのか。
誰かに認めて貰いたいのか?
それとも、ただただ生きているだけでいいのか?
目指している先と、現在の行動は釣り合っているのか?
ただただ、細々と生活しながらゲームをするだけなら、ナマポにできる。
それ以上を目指すのであれば、環境が無ければ労働するしかない。
だからこそ、聞きたい。いや、別に聞きたくはないんだけど。
「何の為に、生きているんですか?」
一時期、自分の流行語大賞だったこの言葉は、今でも突然現れてくれる。
昔の自分であれば、答えられなかった。
今なら、ハッキリと答えられる。
「できるだけ苦労せずに、楽しく生きていたい」
誰もが思いつくような、小学生でも幼稚園児でも思いつくようなこの言葉に辿りつくのに、31年かかった。
そして今、その環境を私は手に入れた。
そこがゴールでいいのか? と考える人もいる。
当然、そう指摘するのが当然だとは思う。
でも、ここがゴールじゃない。
今ようやく、スタートラインに私は立てた。
ここからようやく「自分の楽しいとは何か?」を見つける旅を始める事ができる。
今まで流れで生きて来た中で、楽しいとは何なのかが分からなかった。
人生とは、楽しくあるべきなのであると誰かが言っていた。
他人なんてどうでもいい。
だけども、自分を楽しくしてくれるのであれば、その人の幸せを願うべき。
その願いとは、自分を楽しくさせてくれるのだから。
だからこそ、人生における基準は、他人ではなく、自分の方がきっと良い。
確信はないけれど、きっとソレが良いに違いない。
要するに、私は怠け者なのですが、そうやって育てられてきたのだから仕方がない。
今日は朝起きて、昼寝して、youtubeを視ました。
手羽元をいっぱい食べました。
今の私は、とても楽しい生活を送っています。きっとそういう事なんでしょう(?) ~終~